ESSAY|エッセイ

父・河崎利明 遺稿集

はとからすやまとりのこみち

父・河崎利明 遺稿集「はとからすやまとりのこみ」より

江戸時代、栃木県のひっそりとした山道、馬頭、烏山、鷲の子(とりのこ)山の別 れ道、馬河内という小さな部落の外れに、「はとからすやまとりのこみち」と彫った五十糎(センチ)位 の小さな道しるべがあった。この事は昭和初期の“民芸”という雑誌の写 真入りの小さな記事で知っていた。

 

「馬頭・烏山・鷲の子道」と「鳩・烏・山鳥の小道」をかけたメルヘンの世界、江戸時代の農民の趣味の豊かさを示すものであった。此の石碑を訪ねて何度も烏山や馬頭を訪れた。どこに在る、ここに在るという間違った話で随分無駄 歩きし、やっと馬河内をつきとめた。二十年前からもう石碑はなかった。道路拡張で取り除かれたそうで、どこかの金持ちの別 荘の庭石にでもなっているのかも知れない。

 

そこでひそかに復元を考え、烏山の姉が名筆なので一行に「はとからすやまとりのこみち」と書き、石の裏に小さく「馬頭烏山鷲の子道」と書いてもらい、古河の木村石材店のおやじに根生川石で二基つくってもらい一個は自分の家の庭先に置いた。白木蓮の大木の下である。

 

もう一個はそっとライトバンにのせもとあった現地から一キロ程はなれた寂しい三叉路に立てた。江戸時代の重々しい万代無量 の石のうしろにひっそりとある。石屋の他に義弟も手伝ってくれた。石を立てている時「何をしているだね」と一人の村人が訊いた。「鷲の子神社の神主さんに頼まれただ」というと「はぁ、そうかね」で行ってしまった。凄く良い気持ちだった。

ところが、そのあとが大変。まず、朝日新聞の声欄に不思議な石が建ったとの名文の投稿が載った。

私の友人の友人の朝日新聞の記者が嗅ぎつけてやってきた。私をAという匿名で大きな記事にした。

地元でも大騒ぎになった。観光に使おう、それでは石が小さすぎる。そこで巨大な石に「はとからすやまとりのこみち」「勲○等栃木県知事 横山茂書」と彫って、これまた巨大な大野判睦顕彰碑の横に建てた。

 

俗悪な石である。本来はひっそり山道にあるべきものである。とにかく、がっかりした。江戸時代の村人と現代の村人とこうも趣味性が違うものだろうか。

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父・河崎利明 遺稿集「はとからすやまとりのこみ」

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